シルバー産業新聞 連載「半歩先の団塊・シニアビジネス」第210回
本連載第208回で述べた通り、脳の前頭前野が何らかの理由で働かず、認知機能が低下した状態が認知症だ。
脳の「見える化」装置の一種であるNIRS(近赤外線分光装置)で脳の活動状態を撮影すると、健康な人は前頭前野が活発に働いているが、認知症の人は前頭前野が働いていないことがわかる。
本稿では、脳が働くことの脳科学的な意味とNIRSの原理を解説する。
脳が働くとは、脳の神経細胞の活動が活性化すること
私たちの脳には1000億~1500億個の神経細胞があるとされる。神経細胞は情報をやりとりすることに特化した特殊な細胞だ。
一つの神経細胞から別の神経細胞へシナプスという接合部でアドレナリンやドーパミンなどの神経伝達物質を使って情報を伝える。神経細胞は運動や感覚、記憶や感情など、人の認知活動の様々な機能をつかさどる。
私たちが認知活動を行うと、その機能に応じて脳の該当部位の神経細胞の活動が活性化する。
例えば、手書きで文章を書く時には前頭葉の神経細胞が、テレビを観ている時には映像を認識する後頭葉と音声を認識する側頭葉の神経細胞がそれぞれ活性化する(連載第208回の図3参照)。
神経細胞の活動のエネルギー源は、通常の細胞と同様にATP(アデノシン三リン酸)だ。その原料は神経細胞そばの毛細血管から取り込まれるブドウ糖がほとんどだ。
ATPの生成には酸素が必要で、毛細血管を流れる血液中の赤血球に含まれる「ヘモグロビン」から取り込まれる。
神経細胞の活動が活性化するとエネルギーを消費する。するとエネルギー源であるブドウ糖と酸素を神経細胞に供給するために、毛細血管への血流量が増加する。これにより酸素と結びついたヘモグロビンの流入量が増加する。
NIRSの原理とメリット、デメリット
NIRSでは頭部に3cm間隔で近赤外光の光源と受光センサを配置する。近赤外光は波長が700nm~900 nmで、人体組織は通り抜けるがヘモグロビンには吸収される特性がある。
光源から照射した近赤外光は、神経細胞そばの毛細血管を流れる血中のヘモグロビンの濃度で吸収度が変わる。受光センサで近赤外光の減衰度を測定することで神経活動の活性化度を可視化する。
機能的MRI(核磁気共鳴画像装置)やPET(陽電子放出断層撮影)など他の脳機能測定法と比較した NIRSのメリットは次の4つだ。
- 拘束性が低く、被験者の体位に制限されにくく、日常生活に近い状態で脳機能が測定できること。
- 体に無害な光を使用するために安全性が高く、小児や乳幼児にも繰り返し測定可能であること。
- 時間分解能が機能的MRIやPETに比べ高く、脳活動の経時的な変化を記録できること。
- 機器が比較的安価で省スペースであること。
一方、デメリットは、近赤外光の性質から、脳の深部計測ができないことだ。このため高次機能を司っている大脳皮質の計測に適している。
NIRSの開発は実は日本で始まり、現在も日本の技術が世界で最も進んでいる。近年、計測機器の小型化・携帯化が進み、日常の生活環境でも計測可能になっている。
脳トレだと思っている活動が、実はそうでない例が多い
以上まとめると、脳が働くとは、ある認知行動に対応して脳の当該部位の神経細胞の活動が活性化することだ。
その際に神経細胞そばの毛細血管の血流量が増加する。NIRSは血液中のヘモグロビンの濃度変化を近赤外光で計測し、脳の活性化度合いを見える化する。
高齢者施設や有料老人ホーム、デイサービスなどで、いわゆる「脳トレ」や「脳活」と銘打ったアクティビティを見ることがある。だが、その多くが脳活動を活性化するためのトレーニングになっていない。
科学的エビデンスのないアクティビティはスタッフを疲弊させるだけでなく、利用者に何のメリットもなく、機会損失を生むだけだ。
NIRSによる計測で、現在利用中の脳トレプログラム等に認知機能の改善効果があるか否かを科学的に評価できる。