シルバー産業新聞 連載「半歩先の団塊・シニアビジネス」第223回
阻害要因が多くても海外旅行に行く「強い動機」とは
前回述べた通り、シニアの海外旅行市場が落ち込んだ根本的原因は、市場環境が、旅行代理店主導の「マス市場」から、個人主導の「多様性市場」に変わったことだ。
よって、これからのシニアの海外旅行市場は「多様なミクロ市場」の集積となる。個々のミクロ市場は、阻害要因が多くてもシニアが海外旅行に行く「強い動機」でくくられる市場だ。その動機の例を以下に挙げてみよう。
1.重病になり余命が短い
2007年の米国映画「The Backet List(棺桶に入る前にやることのリストの意味、邦題は『最高の人生の見つけ方』)」は、余命6か月を宣告された2人の男が、死ぬ前にやり残したことを実現するために共に冒険旅行に出る物語だ。
この映画がヒットしたことで、当時米国のシニアの間で自分たちのThe Backet List作りが流行したものだ。課題は重病であるがゆえに、一般には旅行に行きにくいこと、行くとしてもそれなりの費用がかかることだ。
2.「解放段階」で今やるしかない気持ちが強まる
米国の老年心理学者コーエンは、50代中盤から70代前半にかけての心理的発達の段階を「解放段階」と呼んでいる。この段階には、何か今までと違うことをやりたくなる傾向が表れる。
この段階では、時間・家族・仕事の制約からの解放がきっかけで心理面の変化が起きやすくなる。もう人生長くないのだから、自分のやりたいことを今すぐやろう、という気持ちが新たな行動を後押しする。
(1)自分を変えたい、リスタートしたい、学びたい
かつて、雑誌いきいき(現:ハルメク)で実施し、私も協力した「ボストン・ワンマンス・ステイ」は、単なる観光旅行でなく、米国ボストンで暮らすように滞在しながら現地の文化や歴史を学ぶ旅行商品だった。
30名の参加者は50代後半から60代の女性または夫婦。参加動機は「人生をやり直したい」「米国留学時代を思い出したい」「学び直したい」などが多かった。
(2)昔なじみの場所にまた行きたい
千葉県に住む小山慎吾さん(仮、73歳)は、同年代の妻と年に一度、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートに行く。彼らの飛行機は格安のエコノミークラス、ホテルは現地の安宿だ。だが、スーツケースには、コンサートに行く時の正装を忍ばせてある。
神奈川県に住む山本太郎さん(仮、64歳)は、役職定年で休みが取りやすくなったこと、いつ海外旅行に行けなくなるかわからない年齢になったことから、若い頃から何度も行って気に入っているフランスに行くことにした。
ただし、若い頃と異なりエコノミークラスは辛いのでビジネスクラスにした。代わりに今後の旅行頻度は減らすとのことだ。
(1)と(2)の例では、当事者に訪問対象国に対する「憧れ」や「好きなこと」がある。ただし、それらは極めて個人的なものだ。従来の旅行代理店でよく見られた「ロンドン・パリ・ローマ 魅惑のヨーロッパ7日間」ツアーとは大きく異なる。
3.「自分ミッション」を実現したい
自分ミッションとは、連載第152回で触れたとおり、会社軸ではなく、自分軸で生きる際に、残りの人生で何のために何をやるのかを定めたものだ。
富山県に住む佐伯克美さん(90歳)は、世界最高齢のクロスカントリー(クロカン)スキーヤーだ。60歳定年まで勤め上げた後、「やりたいことがある」と仕事は断った。大学時代にやっていた登山やスキーを心ゆくまでやりたかったのだ。
定年後にかつての大学スキー部の部長が、「クロカンをやってみないか」と声をかけてくれた。クロカンはスキーといってもアルペン競技とは大きく異なる。それでもけがの心配が少なく、年齢を重ねても続けやすいので1から始めることにした。
練習を重ね、夢にまで見た海外遠征もできるようになった。そして、87歳を過ぎてからギネス最高齢記録を3度更新した。
佐伯さんのように、会社生活を離れた後、自分ミッションを定めて新たな人生を歩む人はこれから増えるだろう。この場合、憧れや好きなことは訪問対象国ではなく、ミッションの対象にある。
以上は、阻害要因が多くてもシニアが海外旅行に行く「強い動機」の例だ。これ以外にもまだ色々あるだろう。
これからの旅行代理店業に求められるのは、従来型のパックツアーではなく、個客の人生をより豊かにするための有意義な旅のスタイルの提案なのだ。



