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昨年ある老人ホームを訪れた時、
入居者の居室の窓枠が不自然であることを
案内をしてくださった方がわざわざ教えてくれた。
網戸が窓ガラスより内側に付いていたのだ。
普通、網戸は窓ガラスの外側に付いている。
これが窓ガラスの内側にあるとどうなるか。
窓ガラスを開閉する時に必ず網戸を開ける必要がある。
これにより蚊などの虫が入りやすくなる。
つまり、網戸の意味がほとんど無くなる。
聞けば、その施設の設計はアメリカ人で、
居室の窓枠の備品は、すべてアメリカからの輸入とのこと。
妙なところでメイドインUSAを発見した。
だが、これまで何度もアメリカに滞在しているが、
こんなことにはまったく気が付かなかった。
なぜ、通常と逆の取り付け方をしているのか。
どういう設計上の理由があるのか。
先月の渡米で、その疑問への答えが明らかになった。
滞在中訪れたすべての施設の居室の窓を確認した。
老人ホームだけでなく、泊まったホテルの窓も確認した。
その結果、どの窓にも網戸は窓の外側に付いていた。
どうも日本で見学した施設には、
設計ミスで製造された窓枠が
そのまま取り付けられていたようだ。
これを見て、昔、日本の工場でよくあったことを思い出した。
現場のエンジニアが、
工場で設備の定期検査をしていた時、
ある配管の取付け位置と形状が妙に不自然だと感じた。
不可解に思ったエンジニアは、
その設備の代理店の日本のメーカーに問い合わせた。
だが、代理店からの回答は
「設計どおりで問題ない」
とのことだった。
それでも納得がいかないエンジニアは、
設計元のアメリカのメーカーに直接問い合わせた。
メーカーの設計者が詳細に確認した結果、
それが設計ミスであることがわかった。
笑い話のように聞こえるかもしれないが、
このような光景は、高度成長期の日本の産業界で
よく見られたことである。
開国以来、低成長期に入るまで
盲目的な欧米の模倣が近代化の拠り所だった。
「欧米ではこうだ」というのが絶対的な「権威」だった。
日本の高齢化率は、いまや世界最高になった。
高齢化率という尺度では、日本以上の国は世界中にどこにも無い。
だが、老人ホームなどの住宅インフラは、まだまだ不足している。
数だけでなく質も含めてである。
私はアメリカの先進的なシニアビジネスについてよく話をする。
シニア向けの住宅分野で、依然アメリカが進んでいるのは確かだ。
だからといって、アメリカのものが何でも日本より優れているとは思わないし、
アメリカでうけているものが日本でも必ずうけるとは思わない。
「アメリカ製だから良い」「日本製だから悪い」、あるいはその逆。
このような単純化した議論は今の時代に合わない。
ますます多様化する現代では、物事をあまり単純化できない。
にもかかわらず、これと似た単純化は、まだ世の中に多い。
「シニアは認知年齢が若い」
「団塊世代は自分のためにお金を使う」
「最近の若者は昔に比べて我慢が足りない」
実は、こういう物事の単純化の根底には、
そのような単純化をしたがる人間の「権威主義」がある。
なぜなら、権威に寄りかかると「簡単」だからだ。
あれこれ考える必要がなく、きわめて「楽」だ。
だから、次のような言葉がつい出てくる。
「有名大学のあの先生がこう言っている」
「著名な専門家がこう言っている」
「大手シンクタンクがこう予測している」
権威に寄りかかるというのは、
物事の判断を下さないといけない時に、
本来、自らがかくべき汗を
権威者と呼ばれる人に丸投げすることに等しい。
それゆえ、このような権威主義は、
確実にその弊害を生み出す。
それは、自分の「感性」で物事を判断できなくなることだ。
かつて人間にもあったらしい尻尾が、
使わないために衰えてなくなったのと同様に、
使わない感性は衰え、消滅していくだろう。
入居者にとって、どういう状態が最も使いやすいのか。
実際に使う入居者の気持ちを深く想像し、
使う立場での確認を心がける姿勢。
先の窓枠の事例は、小さな事例ではあるが、
このような「現場の感覚」という感性の大切さを教えてくれる。
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